「逆転のトライアングル」…豪華客船の乗客乗員が織りなすブラックな「転覆劇」

スウェーデンの鬼才、リューベン・オストルンドの映画には、奇妙な「痛気持ちよさ」がある。人と社会の本性をブラックユーモアとともに丸裸にしてしまうから、見ていていたたまれない気分になるのだけれど、どこか心がすっとする。2022年のカンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞した本作「逆転のトライアングル」(2月23日公開)で描くのは、現代の「階級」社会を凝縮したような豪華客船内のヒエラルキーが、難破によってどう変わるか、だ。(編集委員 恩田泰子)

物語の中心にいるのは、ファッションモデルのカップル。女ヤヤ(チャールビ・ディーン)は今が盛りの売れっ子にしてインフルエンサー、男カール(ハリス・ディキンソン)はキャリアの下り坂にさしかかったところだ。カールはヤヤに本気だが、ヤヤは彼を「都合のいい男」のように扱っている。

 豪華客船にはヤヤが招待を受けて2人一緒に乗船。ロシアの成り金富豪ご一行やIT系の成功者、武器製造業で財をなした夫婦といったスーパーリッチたちに交じって旅を満喫していた。

乗員たちは、とにかく乗客ファースト。接客担当者たちは高額チップを夢見てかしずき、清掃や力仕事を担当する裏方たちは客の一言で簡単に首をきられる。船長(ウディ・ハレルソン)はなぜか、自室に閉じこもって酒びたり。 ぜい を尽くした料理とともに客をもてなす「キャプテンズ・ディナー」を荒天の夜に強行し、とんでもない事態を招く。

 とにかく、冒頭からちくちくくる。外見や社会的影響力が物言う世界にもかかわらず、ファッションショーで掲げられるスローガンは「人は、みな平等」。船上では、自分より立場の弱い者への「思いやり」を装った大迷惑なわがままがまかりとおる。

監督・脚本のオストルンドは、ファッション業界や豪華客船の旅といった、興味をそそるゴージャスな世界をぺろんぺろんと裏返していく。スキーリゾートが舞台の「フレンチアルプスで起きたこと」(2014年)、現代アート界をめぐる「ザ・スクエア 思いやりの聖域」(17年)と基本的なやり口は同じなのだが、今作では、規模や内容をさらにスケールアップさせて、社会全体の縮図と言うべき作品にして

その縮図を「転覆」させるきっかけを作るのが、欺まんに耐えられなくなったかじ取り役の乱心だ。ディナーの夜、船は文字通り揺れに揺れ、美食を満喫していた乗客たちは船酔いに苦しみ、すべてを吐き出し、排せつ物にまみれていく。きらびやかな光景は裏返って地獄絵図と化し、あれよという間に難破に至る。悪趣味とも言える展開を、ダイナミックな描出力とクールなまなざしをもって一気に描ききるオストルンドの手腕の、なんと鮮やかなこと。

 とはいえ、物語はそこで終わらない。難破船から逃げのび、無人の海岸にたどりついた者たちの間では新たな力関係が生まれていくのだ。

女か男か、美しいか、金持ちか、社会的地位はどうかなど、船上で問われた価値の意味が変容する。ヤヤとカールの愛情バランスにも変化が起きる。

 もっとも、人生ゲームの勝敗を描くことだけがオストルンドの映画の目的ではないだろう。その真骨頂は、個々の人間描写にこそある。勝つ者も、負ける者も、おかしくて悲しい。変われそうで変われない。その残酷をあるがままに描ききるから、この映画はぐっと来る。

 オストルンドのパルムドール受賞は、前作「ザ・スクエア」に続き2作品連続で、これは史上3人目の快挙。3月12日(現地時間)に結果が出る米アカデミー賞でも、作品・監督・脚本の3部門にノミネートされている。審査・投票に携わる映画人たちにとってはかなり身近な世界の欺まんを描いているはずなのだが、覚えめでたいのはこれいかに、とも思う。みんな痛みを感じているのか、包容力たっぷりの人間描写をある種の免罪符と感じるのか、そもそも観客も同じ穴のむじなではないか――などなど、思い切り楽しんだ後に、いろいろ考えずにはいられなくなる豪勢な戯画である。

 ヤヤを演じたディーンは22年8月に32歳で早逝。本作での魅力的な演技を思うと、残念さが募る。


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